失敗した話
私は、今まで生きて数多くの失敗をしてきました。
まず、高校の進路を間違ってしまいました。文系が得意で将来は、文章を書く仕事をしようと中学生の時に考えていましたが、中学3年生の時の担任の先生に反抗して、勉強をせず、高校受験をさせないと言われました。内申書は書かないと。
忘れもしません。中学3年生のクリスマスイブの夜に電話が鳴りました。私が出ると、担任の先生からの電話でした。親に電話をかわり、話をしていましたが、電話を切った途端に両親が怖い顔で担任の先生が「高校に行かせるつもりはない」という話でした。
成績も悪くなかったので、そんなはずはないと思っていたのですが、内申書は書かないといわれ、教育委員会まで親が相談に行き、地元から離れた高校であれば内申書を書くという条件付きで高校進学することとなりましたが、選んだ高校が工業高校でした。
中学の時から文系の教科が得意で、国語、英語、社会が得意だったのですが、選んだ高校は、数学がメインの高校でした。中学の時は、クラスでも成績が良かったのですが、高校に入ってクラスでしたから数えて4番目ぐらいで落第寸前の成績で3年間過ごしたのです。
高校に入って、大学に進学も諦めました。大学進学よりも就職する人の割合が多く、大学進学の勉強なんて皆無に等しい。普通教科の授業なんて誰も聞いてない起きてないで、みんな寝ています。
専門教科が多く、機械科だったのですが、製図の時間や実習の時間(旋盤や鍛造、鋳造)工業系の授業はほとんどが、苦手の数学でした。勉強をしなくても進級する方法もたくさんあったので、教科書すら家に持って帰ったことがないです。
高校生活は楽しかったのですが、将来に対しては、大失敗でした。
夕方の寂しさ
いつも思うことがあります。日曜の夕方は、とても寂しく、切なくなります。
以前は、日曜の夕方になると訳も分からず涙があふれてきました。子供たちと離れて暮らす父親は、日曜が苦手です。外に出れば家族がいないということを嫌というほど、思い知らされます。
子供たちが笑って、遊んでいるのを見るだけで切なくなります。失くしたものの大きさが、心に響いてきます。
子供たちにとって、決していい父親だったと思っていませんが、それなりに幸せな家庭だったと思います。ただ、うつ病になって、笑えなくなって心の居場所がなくなって、子供たちに迷惑をかけたかも知れません。
うつ病は、だいぶ良くなりましたが、日曜の夕方だけは、どうしても外に出る気になれません。笑っている家族連れを見るのがつらいから。子供たちと離れてから、アニメも見れなくなりました。サザエさんもまるちゃんも。
心に空いた穴がふさがる日が来るんでしょうか?
お墓参り
昨日から実家に帰り、お彼岸なので墓参りに行ってきました。
今回は、父が亡くなって初めてのお彼岸ということでいつもと違う気持ちを持ってお墓参りをした。いつもより手を合わせている時間が長かったように感じる。
でも、お墓参りをする人が少なくなっているのは事実のようだ。彼岸なのにお花が立っていない所が、年々増えていっているように感じる。みんな墓参りをしなくなったのかな?子供のころは、年に4回の墓参りを必ずしていたのに。
最近、時間の流れが10年前に比べて早くなったような気がする。昭和生まれの私としては、寂しいような、それでもその速さについていかなくてはいけないという気持ちの焦り、一人取り残されていく虚しさが、気持ちの中で入り交ざって変な感じがした。
人とのつながりはSNSを使って、効率よく身近な感じがするが、墓参りや、お彼岸、などの昔ながらの風習が忘れ去られ、大きな墓園だけが時間の流れから取り残されている過去の遺産のような場所になっているのではないであろうか。
新しいことを始める
今日は、数件のZOOMでのオンライン説明会に参加した。
この年齢になって思うのですが、現代の進化のスピードの速さについていけないということ。自宅にいながら何でもできるんだと感心するのが一番で、このスピードの中で生きていけるのであろうかという疑問が出てきた。
今から生きていく若い人たちは大変だというのとつくづく感じる。SNSができ、ZOOMでいろんな人とつながれる。一見便利そうだが、私の年齢になると逆に生きづらさを感じてしまう。全てが繋がり、すべてが監視されている世の中で、どこにいるか、何を買ったか、何を食べたのか感情までもが、世間に知れ渡っていることの怖さを感じる。
人間的に生きていきたいの定義が、20年前と今では違ってきているのかもしれない。私は近い将来、人の悩みを解決できるような仕事に就きたいと考えているが、人の悩みも変わってきているのでしょうか?
今は、スマホがあれば何でもできるという時代ですが、それこそ30年前は、恋人と連絡を取るにも自宅に電話して、「お父さんが出たらどうしよ」って考えながら、ドキドキして公衆電話(死語かな)の前で10円玉を入れ電話している風景は、もうなくなってしまった寂しさを感じる。
私が勤めている会社は、70代の人が何をするでもなく、過去の栄光にすがって偉そうに話しているが、実は時代遅れになっているとは気づいてないのでしょうか?大手の会社の何%ぐらいの会社で、そんな人が蔓延っているのかを考えると怖いですね。
でも、時代の先端を走ってるような企業に勤めている人にとっては、50代が私たちの会社の70代と同じようになってくると思わないですか?自分のことだけしかわからないけど、私がついていけていない時代のスピードに、多くの50代の男性がついていけているとは考えづらい。
今、犯罪を犯す人に対しても、別にディスってるわけではなく、こんなにたくさんの監視カメラが装備されていて、スマホで録画、録音ができ証拠がたくさん残る世の中で犯罪を犯しても、逃げ切れる可能性は極端に少ない。
今の世の中のスピードについていけない、おじさんの戯言でした。
ちなみにこのブログは、文章を書く練習と、リハビリに書いています。もしよろしければ、ご感想など頂けると嬉しいですね。でも、たぶん誰も読んでないけど。
ケガをして思うこと
昨年夏にケガをして(自分的には大ケガ)思ったことですが、
不謹慎な言い方ですが、私のように中途半端な症状が一番つらいと感じています。身体障害者手帳の申請がギリギリ通るか通らないかというようなケガです。同じ脊椎損傷でも車いすになる方もおられれば、寝たきりになる人もおられます。
私の場合は、幸いにも上肢だけに障害が残り、重たいものが持てない、字を書くのに手が震え、うまく書けない。手のしびれ、疼痛が残り、首や肩にかけて激痛がある等の見た目は何もないが、症状はあるというのが、非常に厄介である。
目で見てわからないため、人に伝わりにくく、ただ仕事を休んでいるように見られるのが、きついです。精神的にも肉体的にもしんどいのに、それが伝わらない。会社に部署の変更をお願いしても、50歳を過ぎているため、なかなか首を縦に振ってもらえず、今も療養という名の無給状態です。貯金を崩して生活していますが、会社からの回答を待っているのもつらい。
退職勧奨にも聞こえるような「ケガで後遺症が残った人の多くは会社を辞めている」とか「あなたの仕事はない」と言われても、年齢的にも残るしか手がない。後遺症が見てわかるような症状になると、会社も体裁があるのでなかなかやめる方向には持っていけないのですが、私のように「見た目は普通」というのが一番”たち”がわるい。
身体の障害と会社からの不当な扱いの両方と闘わなければいけない精神的な苦痛が理解される日は来るのか?また、何か別のことができる日が来るのか
今は不安でいっぱいです。
体の異変について
昨年の夏、中心性頸髄損傷というケガをしました。
手術、入院と約90日間の病院生活でした。
リハビリをしても、ケガが完全に治る訳ではなく、今の首や肩の痛みや手のしびれに悩まされています。字を書くのも手が震えてうまく書けない。生活にとっては、不自由なことだらけです。
仕事のほうは復帰の目途も立たないまま、労災の打ち切りで、現在未収入の生活を続けています。
人生って、辛いことの連続かもしれないなと思っていても、やはり、どこかに希望がないかを探してしまいます。きっと、道が開けるはずと信じている自分がいるのも事実です。
早く、きれいに光る道に進めればいいのですが。
初めてのブログ
突然、ブログを書き始めようと思った訳ではないのですが、
この年齢になって、何かを始めるのに遅くはないか
考えていました。
私は、3度の結婚、離婚と人の3倍の人生を歩いてきたので、
それを人るの物語にできればいいなと考えています。
波乱万丈の人生も折り返し地点を迎え、考えるところもあり
物語のようにしようと考えてみました。
思えば中学生の時、いや小学生の時から変わった人生だったな。
後悔や懺悔もいっぱいですが、書き綴っていけたらと思います。
最近、新しいことを始める勇気って、大事なことだと感じています。
明日から、本格的に書いていこうと思っています。